志村双葉の徒然コラム


手は出さずに見守って育てる

子供には、自分で生きて行く力をきちんと持たせたいものですが、それを子供が自分で勝ち取って欲しいと思います。
立ち上がる、離乳食を食べる、‥それらは、自分でここ、と思う時に手に入れるものと信じてあげて、それをできるだけ邪魔しない。感受性も、栄養を摂取する力も、行動も、全部自発的に身につける力が本来備わっています。その時がくるまで、最小限の変化の中で子供が自分でつかんでいくように促すというのが、命を育てる時に心がけることではないでしょうか。
子育ての極意は、手は出さないで、見守ること(気を乗せること)です。子供が「助けて」と手を出した瞬間だけつかんであげる。でもちゃんと子供を見守っていないと、子供が手を出した瞬間を見失ってしまう。だから常に心の目で「観る」こと、タイミングを逃さないことも大事です。
昔から農家のお母さんは、野良仕事をしている時に、子供をかごにいれてあぜ道に置いておいた。それでも子供がきちんと育つのは、手は作業をしていても、心の目はいつも子供の上にあったからだと思う。赤ちゃんが「ふぎゃ」と泣いた時、いつもと同じ声か、いつもとは何かが違うのか。聞き分けられるのは、日頃「気をかけて観て」いるから。お腹がすいたのか、具合が悪いのか、おむつなのか、これからするのか、しちゃったのか、今からしそうというサインが分かれば、すぐにトイレに連れて行ってさせられるし、おむつを汚さないで済む。紙オムツのない時代は、サインを見逃すまいと、母親たちも必死だったはずです。そうするとおむつも早く取れるはず。布おむつは不快だし、トイレでした方が気持ちいい、ということが子供にも分かりますから。
布おむつを使うためには母親は大変な思いをします。でもそれだけ子育てに気が乗っていることになる。トイレのタイミングを見逃さない、ということは、常にずっと子供から気をそらさないということにもなるのです。赤ちゃんはお母さんの気がそれるのを一番嫌がります(電話がかかってきた時などを思い浮かべてください)。子供は言葉がわからない分、お母さんから気が向いているか向いていないかということに、すごく敏感です。
ちゃんとお母さんの気が乗っている子供はわざわざ大泣きして振り向いてもらう必要もないので、あまり泣かなくなる。あまり元気に泣いている子供は、もしかしたらお母さんが気を乗せていないのかも。お腹がいっぱいで眠くなってきて寝る前にこの子は必ずぐずるのよね、と分かっているなら泣いていても仕方がないこと。でもお腹がすいて泣いていると分かっているのに、ずっとあげないのは、いじめです。
子供の求めに日々きちんと応えていくうちに、自ずと子供は「自分でしよう」としてくるもの。それをじっと信じることが大切です。

2007/Apr 志村双葉