志村双葉の徒然コラム


育児を費用対効果で考えない

子供を育てるプロセスを、まるで先行投資のように捉える価値観が横行しているように思われます。一人の人間を上手に育てて、最終的に費用対効果が良く、高利益をもたらすように育てることが幸せ、成功であるという競争社会原理がまかり通っている。
これは、目的と手段を取り違えた結果だと思うのです。
例えば、小学校の授業中にうろうろ歩き回る子供に「座りなさい」と注意した時に、子供が「何のために勉強するの?」「ちゃんと座って話を聞いたら何かいい事があるの?」と質問する。目に見えて対価が得られることでなければ、努力する意味が見いだせなくなっているからだと思います。そんなことを子供に質問されるとは、今までの社会では想定してこなかった。昔は「働く」ことが必ずしも「報酬」と結びついていたわけではなかった。働くことにも様々な形があり、それに対して報いられることにも様々な形があった。人同士の善意の交換で、生きていけた社会が成り立っていた部分も大きかったと思います。
稼げる人間に育てることが、子育ての目的ではないのです。私たちが子供に残さなくてはならないは、生きる力をつけること。たとえどんな状況になっても生きて行く力を持たせること。それが結果的に稼げることになってもいいし、そうじゃなくてもいい。いろんな生き方があっていいと思います。

多くの人は、目的を達成するためになにかをするのが手段であり、それは目的に至るはしごのようなものと捉えています。
例えば金持ちになりたい、だからいい会社、いい学校に入ることが目的になってくる。そのために勉強し、他人を蹴落としても優秀になりましょう、出世しましょうと。でも、いつの間にかその手段の部分だけが人生のすべてになってくる。永遠にはしごだけがあって、どこにも到達しないということになるのです。
目的は目的、手段は手段、これを分けて考えられる人の方が、夢を実現できると思う。夢、理想は、目先の目的とは違うもの、一番上位に持つものです。そして夢を実現したいと思ったら、「この手段をとったから、必ず結果が得られる」というものではありません。人は常に成長しているし、だから常に、同時に違うことが起きている側面がある。充実した自分の人生を生きたかったら、自分がこうなりたいという理想、夢、希望に向かって自分ができることのすべてをすればいいのです。その全てをしているさまを見て、こういう方法を使った、こういう手段で達成したと、他人がその人を理解するために、手段という形を評価しているだけのことです。
TOEFLで800点を取ったから英語がしゃべれるわけではなくて、その人が英語がしゃべりたかったから勉強し、その結果800点という結果が出ただけ。 点数を取ることが目的ではなかったはずです。それは、こうなりたいという理想のために発生してくる副次的な手段。でも他人は、そこだけを評価したりする。もしも手段がいつのまにか目的にすりかわってしまったら、それは本末転倒なことです。
子供には「費用を回収できる人間になって欲しい」ではなく、努力をいとわない情熱を注げる「生きる理想」を持って欲しいと願うべきです。
2007/Apr 志村双葉