志村双葉の徒然コラム


近頃「もっとコミュニケーションが必要!」と思われる場

「コミュニケーションをどう取るか」というノウハウ本は、最近本当によく見かけます。
技術的なことばかりに気を取られがちですが、確かにその背景には、うまく人と向き合えないという悩みや、仕事などのトラブルの源がどうやら情報の伝え方にあるらしい、と感じる人の増加があると思います。人と人が向き合う時に発生するのがコミュニケーションであり、あらゆる「向き合う場面」においてコミュニケーションと、それを巡るトラブルも発生しうるのですが、そこには共通する欠落も見受けられるのです。
例えばどんな仕事にも「発注する側」「受ける側」という立場が存在すると思いますが、情報を渡す方(発注する方)が、情報を受け取る方(受注する側)のことを理解していないがために起こるトラブルというのをよく目にします。後々に起こるトラブルを回避しようと思ったら、まずは情報の渡し手が、相手が仕事をしやすいような渡し方を考慮することです。「言いたいことだけは全部言ったから、あとはうまくまとめるのがあなたの仕事でしょ」ではなく、すぐに仕事に取りかかってもらうために必要な情報は揃っているか、整理がされているかなどに気を配るべきです。もちろん受注側の努力は不可欠ですが、発注する側の配慮があまりにもおざなりで起こるトラブルが実に多いと思います。
しかしながら、「クライアント側がそこまでする必要がある」ということに関して問いただす人は、今の社会の中ではどこにも見当たりません。いろいろな会社組織を拝見していくと、実はどの会社にも、それぞれの社風や、見えない固有のルールが存在するということが分かります。そうした見えない社風の中に「気を使う文化」のある会社では、「相手に気を配った情報の渡し方」というのは理解してもらえると思いますが、「気を使わない文化」が根付いている会社にとっては、理解しがたいことでしょう。怖いのは、その場合、自分のしている説明が整理されていない、順序だっていない、足りていない、ということに「気付く」機会がないということです。そして、そのことが後々、諸々の問題を引き起こす原因になっている場合が多いのではないでしょうか。
仕事をする相手の立場に立ち、どんな情報が揃っていれば良いのか思いをめぐらせるのは、まさに「思いやり」です。
これを社員に気付かせられるような会社は、伸びていくのではないでしょうか。

相手の立場に立ってものを考えることの大切さは、対等な立場の中でも言えることです。例えばお母さん同士、同僚同士など、はっきりした上下関係がない場合、むしろ、より難しく複雑になっていると言えるでしょう。性格や相手の置かれている状況など、目に見えない要素が増えてくるからです。どのような言葉遣いをするべきか、どの点に配慮してお付き合いをするべきかは、相手のことを洞察する「思いやり」がなくては見えてきません。相手を慮る気配りの有無が、「コミュニケーション能力」ということになります。
それは言い換えれば、相手の心の声を「聴く」努力、相手の姿を「観る」努力であり、そうして心を砕く習慣付けをすることは、ひいては自分の成長にもつながるのだと思います。

2006/Sep 志村双葉